EditorsJuniorの日記

編集・ライター兼オンライン型寺子屋の講師が書籍を紹介したり、日常を綴ったりします。

「部活と10代の成長」について考えたい人向け、推薦入試準備中の中高生も! 『僕たちの部活動~部活自治・10のステップ』神谷拓/かもがわ出版/2020年

物語の形をした「主体的な部活動」の解説書

スポーツ教育学を専門とする研究者による〈主体的な部活動〉の解説書です。

どうやって課題と向き合い、組織作りをし、大人たちを巻き込んでいくか。「こんなふうにできれば最高だね」という部活動の方法を物語の中に落とし込み、具体的に説明していきます。

 

物語は、架空の中学校、深津市立南中学校の男子バレーボール部が、廃部の危機に直面するところから始まります。

~学校全体で部活数を減らすことになったんだよ。

~体育館もいっぱいだろ。

~顧問が3月で退職するし、部員数も少ないからね、男子バレーボール部は。

 

学校からの廃部通告に納得できない生徒たちは、部活存続のために自ら部活動改革に立ち上がります。

顧問の退職、部員数の不足、活動時間・場所の制限など、学校側から指摘された課題一つひとつに自ら取組んでいく中学生。

彼らの取組みを導いたのは、地域のスポーツクラブにも関わっている体育教員(サッカー部顧問)や、女子バレーボール部顧問からのアドバイスや、スマホでのネット検索などです。廃部の決定を下した校長先生も、国のガイドラインなどを教えてくれる役割を、物語上、担っています。

 

たとえば、指導者に頼り切らない、主体的な部活動に不可欠な役割分担は、

①練習・試合、

②組織・集団

③場・環境

と3つの積木(課題)をもとに、それぞれのリーダー(①「キャプテン」、②「部長」③「環境リーダー」)を決め、係を設定。全員が部の運営に関われる仕組みを作っていきます。

週1のミーティングの他、LINEで密に連絡を取り合うところは、令和の中学生ならでは。

一つひとつ課題を解決しながら物語は進んでいきますが、1章ごとに書かれているまとめ=「ブカツのヒケツ」が、著者による解説部分になっています。

作中に描かれている部活改革の内容は非常に高度で、高校生でもここまでできたら超優秀と思わなくはありません。中学生の親からすると、「ミーティングに出す原案やワークシートをこんなにスムースに用意できるのなら、勉強でも苦労しないのよ!」と叫びたくなるところでしょう。

しかし、ここまではできないにしても、部活動は、やりかた次第で、10代の子どもの思考力を鍛え、協働力を養い、主体性を獲得していく、貴重な機会になることは、大人として親として知っておきたいことかもしれません。

巻末には、実際の部活動運営の役に立つクラブ・インテリジェンスワークシートが付いています。部活でリーダー職を務めている中高生は参考にできる嬉しい付録です。

本書は、キャプテンが推薦で難関高校に合格したエピソードで終わっています。
部活動を改革した経験、蓄積した資料(部活ノート、ワークシートなど)をもとに
「勝負ポートフォリオ」を作って面接に臨んだ事例は、
高校・大学の推薦受験を考えている人にとって一読の価値ありです。

 

 

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <終>

第七章 英語教育と日本語教育

最終章で著者は、「英語教育と国語教育」について大胆な提言をします。

まだ、道を選び直すことはできるけれど、それが叶わなければ、私たちは日本語が亡びゆく過程を正視するしかないと。希望と諦念の間に横たわる闇、苦い味わいを残して稿を閉じます。

著者の述べる大胆な提言とは、以下の2点です。

1)英語教育においては、平等主義を捨て、格差教育をする

2)日本語教育においては、すべての人の日本語力向上を目指すこと

要は、「英語の世紀」になった今、日本が必要とするのは、優れた英語で「意味のある発言ができる」英語エリートであって、すべての日本人が日常会話程度の英語が使えるようになることを目指すべきではないという割り切りです。

英語エリートたちは、「英語を苦もなく読め」、発音などは悪くてもいいから(それぞれの母語の訛りがあって当然なのが〈普遍語〉としての英語のあり方)、「苦もなく話せなくてはならない」し、優れた英語の書き手でなくてはならない、と著者は言います。とくに、インターネットの登場によって、英語を読んで書く力の重要性が増していることを強調します。

そして、限られた教育投資で、このような優れたバイリンガルを十分な数、育てるには選別が必要だというわけです。

 

この本が出版された2008年から10年以上が過ぎ、小学校での英語科スタートや、高校入試や大学入試における英語四技能評価など、英語教育に動きが出ています。これによって、ほとんどの日本人が英語で観光案内さえできないという状況は変化するかもしれません。

一方、一部の私立学校では、英語教育や、中高での留学プログラム、ダブルディプロマ制度が拡充し、国際系大学・学部の増加も目立っています。海外大への進学も当たり前になってきました。

著者が言うような「選別」は、国主導というより、家庭の方針・経済による教育格差によっておのずと生まれ、一部の英語エリートが育ちつつあると感じます。

また、大学院受験や公務員試験、民間企業の採用基準においても、TOEFLTOEICなどの点数が重要視されるようになってきました。

数年後には、少なくとも政治経済のリーダーたちは、優れた英語の使い手であることが必須になる時代が、来るかもしれません。

 

ところが、

2)日本語教育においては、すべての人の日本語力向上を目指すこと

という点においては、日本の初等・中等教育は、まったく違った方向へ進んでいるといえるでしょう。

もっとも議論を読んでいるのは、新指導要領による高校国語の科目再編(2023年度~)です。国語は、「論理国語」と「文学国語」と、(不自然に)分けられてしまいました。

「論理国語」では、説明文・実用文を取り上げ、従来学んできた小説や詩歌は「文学国語」で扱い、その選択は学校ごとのカリキュラム編成に任せるという新しい方針。

とはいえ、昨年、新しい国語教科書の検定がニュースになった際には、結局、「論理国語」の教科書にも夏目漱石の『こころ』などが参考資料として縮小掲載され、「文学国語」にも論説文が掲載されたと報道されていました。

要は「国語科の現場としては、論説文と文学をきりはなせないよ」という、使う側のニーズが優先されたようで、検定する文科省側もそこは了承せざるを得なかったのでしょう。

それにしても、この科目再編で共通テストなどは、どうなるのでしょうか。

いわゆる進学校では、「論理国語」も「文学国語」も学ぶところが多いようですが、「論理国語」だけを選択して共通テストに備える高校生が増えるとしたら、水村美苗さんの憂慮する道をひた走ることになる気もします。

もちろん、「論理国語」は、せめて日本語の説明文くらい、すべての人がきちんと読めるようにする、という現実的な教育目的によって設定されたものかもしれません。教育を受けるすべての人の日本語力向上に資するものかもしれません。

しかし、『日本語が亡びるとき』で語られている「日本語の亡び」とは、漱石や鴎外を代表とする日本近代文学(日本語が国民の言葉として高みに登って豊饒だった証)が、一部の学者にしか読まれなくなる、読めなくなることを指しています。

だからこそ、「日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである」と著者は主張します。

今でも、日本近代文学を教科書以外で読む人は少ないでしょう。

それが、限りなく減少していくとしたら……。

最後に、少し長くなりますが、著者の日本語への思いを引用しておきます。

引用 P 347

だが、これから先、日本語が〈現地語〉になり下がってしまうこと―それは、人類にとってどうでもいいことではない。たとえ、世界の人がどうでもいいと思っていても、それは、遺憾ながら、かれらが、日本語がかくもおもしろい言葉であること、その日本がかくも高みに達した言葉であることを知らないからである。世界の人がそれを知ったら、そのような非西洋の〈国語〉が、その可能性を活かしきれない言葉―〈叡智を求める人〉が読み書きしなくなる言葉になり下がってしまうのを嘆くはずである。〈普遍語〉と同じ知的、倫理的、美的な重荷を背負いながら、〈普遍語〉では見えてこない〈現実〉を提示する言葉がこの世から消えてしまうことを嘆くはずである。

人類の文化そのものが貧しくなると思うはずである。

少なくとも、日本語をよく知っている私たちは、かれらがそう思うべきだと思うべきである。

※アンダーライン部傍点あり

 

この章で著者が引用して論じていた『あえて英語公用論』船橋洋一/文春新書/2000年発行 船橋洋一氏が英語公用語戦略としてあげている事項のうち、公式文書の日英併記、国会議員の英語力開示などは、すぐにでもできる提案かもしれません。

 

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <7>

第六章 インターネット時代の英語と〈国語〉

この章では、いよいよ現在、直面している〈国語〉と文学の危機について語られます。

 

単行本が発刊された2008年、著者はすでに「英語の世紀に入った」と書いていますが、その頃は、まだ多くの人は「いずれそうなるか」といった程度の認識だったと思います。

しかし、2022年の今はもう、どんなに鈍感な人であれ、英語が使えるかどうかで取れる情報の量や質が大いに変わってくることに気付いています。東日本大震災や、新型コロナ感染症拡大などの非常時は、とくに、それを強く感じる機会でした。

 

「インターネットという技術の登場によって英語は普遍語としての地位をほぼ永続的に保てる運命を手にした」と著者は言い、英語という普遍語を解する人だけが、ネット上の〈大図書館〉にアクセスできるようになったわけです。

もちろん、2008年には考えられなかったほど、無料の翻訳サービスなどが提供されるようになっていますが、翻訳の適正がわかるほどには英語力が必要であるし、そもそも英語に悪戦苦闘する人は英語の情報をわざわざ取りにいこうとはしない現実があります。

結果、現在は、翻訳による知の吸収ができた〈国語〉の世紀を越えて、「普遍語と現地語の二重構造が再び蘇ってきた」時代に入りました。

 

もはやフランスでも、ドイツでも、スペインでも、中国でも、韓国でも、多くの研究者は現地語で論文を書きません。英語で書かれた論文だけが、価値を得て発信される時代になっています。

さて文学は……。

学問では答えの出ない問題を考えるものとして、あらゆる思考を詰め込む箱として、私たちの人生を豊かにしてくれる文学は、どうでしょう。

著者は、文学自体は求められ続け、亡びないと言っています。

しかし、日本文学は、亡びへの悪循環に陥る。それが、本書タイトルの「日本語が亡びるとき」です。

 

引用P319~320

悪循環がほんとうにはじまるのは、〈叡智を求める人〉が、〈国語〉で書かなくなるときではなく、〈国語〉で読まなくなるときからである。〈叡智を求める人〉ほど〈普遍語〉に惹かれてゆくとすれば、たとえ〈普遍語〉を書けない人でも、〈叡智を求める人〉ほと〈普遍語〉を読もうとするようになる。-中略- 〈叡智を求める人〉自身が、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、だんだんと〈国語〉で書こうと思わなくなる。その結果、〈国語〉で書かれたものはさらにつまらなくなる。当然のこととして、〈叡智を求める人〉はいよいよ〈国語〉で書かれたものを読む気がしなくなる。かくして悪循環がはじまり、〈叡智を求める人〉にとって、英語以外の言葉は〈読まれるべき言葉〉としての価値を徐々に失っていく。〈叡智を求める人〉は、〈自分たちの言葉〉には、知的、倫理的な重荷、さらには美的な重荷を負うことさえしだいに求めなくなっていくのである。

 

では、私たちはどうこの現実と向き合えばいいのか。

いよいよ最終章に入ります。   

                                                                                        

名著復刻漱石文学館『社會と自分』夏目漱石実業之日本社)/日本近代文学館/ほるぷ出版
夏目漱石自選の講演集。漱石のユーモラスな語り口が文字を通じて味わえる。
漱石なら、今の時代をどう見ただろうか。

 

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <6>

第五章 日本近代文学の奇跡

この章では、日本近代文学というものが生まれ、花開いた過程を読者に解き明かしてくれます。

 

日本近代文学が生まれた、言い換えれば、明治~大正期に山田美妙、尾崎紅葉夏目漱石森鴎外坪内逍遥志賀直哉武者小路実篤谷崎潤一郎芥川龍之介等々の作家が、きら星の如く現れたのはなぜか?

 

その仕掛けは、「大学」であったと著者はいいます。

 

明治時代、「大学」は、西洋語を読み書きできるようになった「二重言語者」たちが集まる場所でした。そこは、外国語を「国語」に変換する巨大な翻訳機構であり、「国語」で学問することを可能にするための最高学府でした。

そのため、「大学」は最高学府でありながら、当時の知識人にとってもっとも切実だった問題の答えを探る場ではありませんでした。

もっとも切実な問題とは、「西洋の衝撃」を受けた日本の現実をどうとらえ、この世界でどう生きていったらいいのか? という哲学的命題です。

その命題を見つめざるを得なかった「二重言語者」たちは、大学を離れて作家や評論家になり、学問ではなく文学で考える方途を探ったというわけです。

谷崎潤一郎が不自由なく英語を読む人だったことを恥ずかしながら初めて知りました。

 

たとえば夏目漱石の『三四郎』。作者はこの作品をこう読んでいます。

引用P257

三四郎』は、実は、〈大学〉を舞台にすることによって、日本で〈学問〉する困難さをあますことなく描いた作品である。別の言い方をすれば、『三四郎』は、「西洋の衝撃」を受けた当時の日本の〈現実〉をまさに〈学問の言葉〉を使わず、〈文学の言葉〉を使うことによって、どんな〈学問〉にも代えがたく理解させてくれる小説なのである。しかも、〈世界的〉な視野をもって、当時の日本の〈現実〉を理解させてくれる。

 

つまり、<日本近代文学>とは、外発的に西洋化(グローバル化)を強いられた国の、人々の、物語ともいえるわけです。

三四郎』のなかで漱石は、高等学校の英語教師・広田先生に(日本は?日本の文化は?日本固有の何ものかは?)「亡びるね」と言わせています。このセリフの重さは、非西洋圏に生きるすべての人たちに、今もって届くものでしょう。

名著復刻 漱石文学館『三四郎春陽堂版/ほるぷ出版

大正5(1916)年になって書かれた夏目漱石の遺作『明暗』では、主人公・津田は知識人だけれど、もはや漢籍の読めない男と設定されています。

漱石が考える次世代の人です。

この津田の弱さや不安、自己を擁護して曲げない醜さは、昭和後期に『明暗』を読んだ20代のわたしの胸を揺さぶりました。「津田は自分だ」と。

 

そんなこんな、世間の片隅にいる人々にも読み継がれてきた日本近代文学

インターネット社会になり、デジタルでもアナログでもテキストが手に入りやすくなり、作品を読み書きする人はますます増えているのに……増えているからこそ、日本近代文学の「亡びは始まっている」と著者は言ってこの章は終わります。

夏休みの宿題は、大人と子どもがガチで対話できる絶好の機会

あと5日で8月も終わり。

エディターズジュニアを起ち上げて初めての夏でした。

子どもたちの長期休みに合わせて無料オンラインイベントを2種開催しましたが、ともに無事終了しました。

 

■エディターズジュニアの夏休み自由研究★ポスタープレゼン・ワークショップ

~「自分の好き」を研究材料にしよう!~

 

アニメやマンガ、youtuberなど、自由研究にするのは難しい、恥ずかしいと思いがちですが、「自分の好き」なものこそ、研究対象にふさわしいはずと考えた企画です。

どうまとめるかが問題なわけですが、一枚のボードに自分の論理を展開できる<ポスタープレゼンテーション>の形をとってみました。

 

なぜこの研究をしたいのか

何を伝えたいのか

伝えたいポイントと自分の思い・考え

具体的にいうと、たとえば何、どこ

結論

 

小学生でも、「好きなもの」に対しては雄弁・多弁になります。

一緒に話しながら、上記の要素をつめていく作業は、私たちにとってもとても楽しい時間でした。

*1

ちなみに、講師Bも「自分の好き」なマンガで自由研究しました。

題材は、マンガ『ちはやふる』(講談社コミックス/末次由紀)、なぜ中高年までを感動させるのかを考察。

原田先生や、歴代クイーンの名言等々をあらためてかみしめました。

 

一番好きなセリフは、深作時次先生(千早の高校の国語教師)のこれ。

「私の中にはたくさんの先人の言葉が 受け取ってきた宝物があるので それをきみらにパスするために 受け売りをするために教師になったんですよ」

18巻P71~72

 

受け売りの積み重ねが、「文化」ですよね。

 

夏休みの宿題を親が手伝う是非について、いろいろなご意見があるかと思いますが、

私は、「手伝う」に賛成です。

「自由研究」や「読書感想文」「絵日記」等々を通じて、子どもとたくさん会話ができる、その過程がとても重要だと考えるので。

「手伝う」という表現がよくないかもしれません。

子どもが主体となるプロジェクトの補佐役として、アイデア出しやディスカッションに加わるという感じでしょうか。親だけでなく、兄姉と話し合ってもいいでしょう。

締め切りがありますからガチな話し合いになります。でも、そこがいい。

大人たちは、この機会にどこかで聞いたような「受け売り」をどんどんしていきましょう!

 

さて、

■エディターズジュニアの「いっしょに読もう会」夏休み編では、芥川龍之介蜘蛛の糸」と「杜子春」を読みました。

講談社青い鳥文庫『くもの糸・杜子春』、角川つばさ文庫『くもの糸・杜子春 芥川龍之介作品集』、新潮社『蜘蛛の糸杜子春』、岩波文庫蜘蛛の糸杜子春・トロッコ他十七編』

 

同じ作品でも、漢字の扱い、注の付け方に違いがあり、表現の変更や削除部分についても確認できました。

声に出して読むことのが気持ち良さに気付いてもらえればいいなあ、と思いつつ、ちょっと時間が足りなかったのが残念。

「いっしょに読もう会」は、エディターズジュニアの通常プログラムにもありますので、ぜひ参加してみてください。

 

 

*1:ポスター作成に必要なもの:イラストボード、付箋紙、消えるボールペン、マーカーなど。付箋紙は失敗しても貼りなおせるので便利

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <5>

第四章 日本語という<国語>の誕生

 

夏目漱石の『三四郎』の引用から始まるこの章では、なぜ近代の入口で日本語が<国語>となったのか、なぜ維新後間もなく豊かな国民文学が次々と生まれたのか、前章に引き続き詳しく述べられます。

 

まず、<国語>誕生の条件が二つ。

1)近代以前に、意味・概念を表現できる書き言葉<日本語>が成立していたこと。

2)その書き言葉が、印刷物を通して広く普及していたこと。

 

この二つの条件は、世界中どの地域でも同じように成立するものではないと。

漢文の読み下しのために生まれたカタカナと、漢字の形を崩したひらがなで、現地語(日本語)の「音」をそのまま書き表せるようになった日本語の成り立ちがまずあり、

江戸期には黄表紙や読本など印刷物があふれ、庶民までが楽しむようになっていた。

 

こうしたことを、私たちは当たり前に受け止めているけれど、稀なことだったんですね。

 

一方、維新後、声高に唱えられた漢字排除論、アルファベット表記論も幸いにして退けられた、その理由は「翻訳」を有利に進めるためだったと説明されます。

「翻訳」する際には、表意文字の漢字が必要であったし、そもそも清国において多くの西洋文献が漢語訳されていたので、漢語訳からの重訳ができたと。

外来語を新しい「知」を取り入れる上で、漢字ひらがなカタカナが混交する「日本語」が便利なのは、現代人の私たちにも実感できます。

 

しかも―と著者は語ります。

引用P235~236より

翻訳という行為の根底には、常に、もっと知りたいという人間の欲望――何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人間の欲望がある。そのような欲望は、国家の存亡を憂える気持ちとも独立し、人間が人間であるがゆえに人々が宿命的なものである。当時の日本でも、もっと知りたい、何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人々の欲望があり、そのような人々が翻訳にたずさわることによって、日本語という<自分たちの言葉>が<国語>という高みへと到達しえたのであった。

 

新しい「知」を次々と自分たちの言葉に転換し、自分たちの思考回路で咀嚼できる「国語」を、19世紀半ばに持てた幸運をあらためて感じます。

 

▲四章のなかで紹介されている『翻訳と日本の近代』丸山真男加藤周一/岩波新書。購入しました。これから読みます。幕末に翻訳された『万国公法』をめぐる法律用語の解説がおもしろそう。

 

 

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <4>

第三章「地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々」

 

三章は、そもそも近代文学が成立する前提となる「国語」とは何かについて整理する章です。

※この賞は、ちょっと読むのに集中力が必要なので、お急ぎの方は、読みとばして第四章あるいは第五章にいってもよい、かもしれません。当ブログの文章もわかりずらかったら、ごめんなさい。

 

論考の土台となるのは、ナショナリズム研究の定本、ベネディクト・アンダーソンの『創造の共同体~ナショナリズムの起源と流行~』です。その内容を紹介しつつ、前章まで使ってきた「普遍語」と「現地語」「国語」がつくられていく過程を説いてくれます。

ざっくりと言えば、

「現地語」とは、地域ごとの日常的な話し言葉

「普遍語」とは、各地域に、大きな文明の影響がもたらされるとき、その媒介となる言語

であると。

たとえば、中国大陸の文明の影響が、あまねく東アジアに広がる時、その媒介になったのは漢語、漢籍儒教・仏教典)でした。ヨーロッパにおいてはラテン語がそれに当たります。

文明を受け入れるとき、特別な立場に立つのは、普遍語と現地語のバイリンガルの人たちです。「漢語と現地語」、「ラテン語と現地語」の双方を操る人たちだけが、文明の叡智(学問)に直接触れることができ、長く特別な地位にあり続けることができました。

ここでいう学問の本道は、聖人の教え(聖書や仏典や四書五経)を学ぶことを指します。

 

そして時代が下り、国民国家というものが徐々に創りあげられていく時期になります。文明の叡智、学問の成果は、特別な人たちが占有し、支配の道具にするものではなくなり、より多くの国民と共有するべきものとなります。

高度な印刷技術が生まれ、普遍語から現地語への翻訳作業が進み―その翻訳作業のなかで国民の言葉として生まれたのが「国語」だったというわけです。

「現地語」はもともと<話し言葉>としてしか機能していませんでした。

それが、翻訳を通じて<書き言葉>としての機能を持つようになり、頭の中にある思考や心の機微を文章化できるようになり、やがて「国語」で文学作品を書くに至った―

これを著者は<国語の祝祭の時代>と表現します。

 

引用P187~188より

ヨーロッパで<国民文学>としての小説が、満天にきらきらと輝いたのは、まさに<国語の祝祭>の時代だったのであった。それは、<学問の言葉>と<文学の言葉>とが、ともに<国語>でなされていた時代である。そして、それは、<叡智を求める人>が、真剣に<国語>を読み書きしえていた時代であり、さらには<文学の言葉>が<学問の言葉>を超えるものだと思われていた時代である。

 

<文学の言葉>が<学問の言葉>を超えるとは、「人間とは何か」「人はいかに生きるべきか」など、人間にとって根源的な問いの向かう先が<学問の言葉>=宗教書から、<文学の言葉>へ変わっていったということ。

とりわけ小説という新しい文学ジャンルが、人々の求める言葉をふんだんに提供していったと、著者は論じます。

 

次の第四章では、このあたりの事情をさらに詳しく解き明かしてくれます。

手元にあるのは2021年5月13日初版第16刷。積読中。