EditorsJuniorの日記

編集・ライター兼オンライン型寺子屋の講師が書籍を紹介したり、日常を綴ったりします。

背伸びしても読むべき中高生からすべての大人向け『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村美苗/ちくま文庫 <4>

第三章「地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々」

 

三章は、そもそも近代文学が成立する前提となる「国語」とは何かについて整理する章です。

※この賞は、ちょっと読むのに集中力が必要なので、お急ぎの方は、読みとばして第四章あるいは第五章にいってもよい、かもしれません。当ブログの文章もわかりずらかったら、ごめんなさい。

 

論考の土台となるのは、ナショナリズム研究の定本、ベネディクト・アンダーソンの『創造の共同体~ナショナリズムの起源と流行~』です。その内容を紹介しつつ、前章まで使ってきた「普遍語」と「現地語」「国語」がつくられていく過程を説いてくれます。

ざっくりと言えば、

「現地語」とは、地域ごとの日常的な話し言葉

「普遍語」とは、各地域に、大きな文明の影響がもたらされるとき、その媒介となる言語

であると。

たとえば、中国大陸の文明の影響が、あまねく東アジアに広がる時、その媒介になったのは漢語、漢籍儒教・仏教典)でした。ヨーロッパにおいてはラテン語がそれに当たります。

文明を受け入れるとき、特別な立場に立つのは、普遍語と現地語のバイリンガルの人たちです。「漢語と現地語」、「ラテン語と現地語」の双方を操る人たちだけが、文明の叡智(学問)に直接触れることができ、長く特別な地位にあり続けることができました。

ここでいう学問の本道は、聖人の教え(聖書や仏典や四書五経)を学ぶことを指します。

 

そして時代が下り、国民国家というものが徐々に創りあげられていく時期になります。文明の叡智、学問の成果は、特別な人たちが占有し、支配の道具にするものではなくなり、より多くの国民と共有するべきものとなります。

高度な印刷技術が生まれ、普遍語から現地語への翻訳作業が進み―その翻訳作業のなかで国民の言葉として生まれたのが「国語」だったというわけです。

「現地語」はもともと<話し言葉>としてしか機能していませんでした。

それが、翻訳を通じて<書き言葉>としての機能を持つようになり、頭の中にある思考や心の機微を文章化できるようになり、やがて「国語」で文学作品を書くに至った―

これを著者は<国語の祝祭の時代>と表現します。

 

引用P187~188より

ヨーロッパで<国民文学>としての小説が、満天にきらきらと輝いたのは、まさに<国語の祝祭>の時代だったのであった。それは、<学問の言葉>と<文学の言葉>とが、ともに<国語>でなされていた時代である。そして、それは、<叡智を求める人>が、真剣に<国語>を読み書きしえていた時代であり、さらには<文学の言葉>が<学問の言葉>を超えるものだと思われていた時代である。

 

<文学の言葉>が<学問の言葉>を超えるとは、「人間とは何か」「人はいかに生きるべきか」など、人間にとって根源的な問いの向かう先が<学問の言葉>=宗教書から、<文学の言葉>へ変わっていったということ。

とりわけ小説という新しい文学ジャンルが、人々の求める言葉をふんだんに提供していったと、著者は論じます。

 

次の第四章では、このあたりの事情をさらに詳しく解き明かしてくれます。

手元にあるのは2021年5月13日初版第16刷。積読中。