第四章 日本語という<国語>の誕生
夏目漱石の『三四郎』の引用から始まるこの章では、なぜ近代の入口で日本語が<国語>となったのか、なぜ維新後間もなく豊かな国民文学が次々と生まれたのか、前章に引き続き詳しく述べられます。
まず、<国語>誕生の条件が二つ。
1)近代以前に、意味・概念を表現できる書き言葉<日本語>が成立していたこと。
2)その書き言葉が、印刷物を通して広く普及していたこと。
この二つの条件は、世界中どの地域でも同じように成立するものではないと。
漢文の読み下しのために生まれたカタカナと、漢字の形を崩したひらがなで、現地語(日本語)の「音」をそのまま書き表せるようになった日本語の成り立ちがまずあり、
江戸期には黄表紙や読本など印刷物があふれ、庶民までが楽しむようになっていた。
こうしたことを、私たちは当たり前に受け止めているけれど、稀なことだったんですね。
一方、維新後、声高に唱えられた漢字排除論、アルファベット表記論も幸いにして退けられた、その理由は「翻訳」を有利に進めるためだったと説明されます。
「翻訳」する際には、表意文字の漢字が必要であったし、そもそも清国において多くの西洋文献が漢語訳されていたので、漢語訳からの重訳ができたと。
外来語を新しい「知」を取り入れる上で、漢字ひらがなカタカナが混交する「日本語」が便利なのは、現代人の私たちにも実感できます。
しかも―と著者は語ります。
引用P235~236より
翻訳という行為の根底には、常に、もっと知りたいという人間の欲望――何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人間の欲望がある。そのような欲望は、国家の存亡を憂える気持ちとも独立し、人間が人間であるがゆえに人々が宿命的なものである。当時の日本でも、もっと知りたい、何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人々の欲望があり、そのような人々が翻訳にたずさわることによって、日本語という<自分たちの言葉>が<国語>という高みへと到達しえたのであった。
新しい「知」を次々と自分たちの言葉に転換し、自分たちの思考回路で咀嚼できる「国語」を、19世紀半ばに持てた幸運をあらためて感じます。
▲四章のなかで紹介されている『翻訳と日本の近代』丸山真男・加藤周一/岩波新書。購入しました。これから読みます。幕末に翻訳された『万国公法』をめぐる法律用語の解説がおもしろそう。